malaxmi’s diary

日々思ったこと等つづっていこうと思います。

祖父が戦争に行った話

 父方母方2人の祖父がいるが、母から聞いた話によると2人とも戦争に行って帰ってきたのだそうだ。

 

 今40代の人は、祖父が若い(下っ端の最前線に行かされそうなやつ)兵隊だったという人が多いんじゃないかな。中学の同級生も、「じいちゃんから戦争の時の靴紐の結び方教えてもらったんだー」と言っていた。

 

 小学生の頃は祖父の家によく泊まりに行ったりしてたけど、本人から直接は聞けなかった。祖父と親しく話せたのは小学生の時くらいだったし。小学生で戦争の時のこと聞きたがる子はなかなかいないでしょう。場を暗くしたくないし。

 

 どちらも母から聞いた話になるが、母の父は、「戦争行ったら、なんにもしていないのに「歯食いしばれ」と言われて上の人から全員びんたされた」そうだ。いつもにこにこして何も言わない優しい祖父だった。そして祖母より背が低くすごい小柄だった。母は「おじいちゃんなんかあんなに小さい体で戦争行ったんだよ」と言っていた。 その家ではご飯食べ終わった後のお茶碗に緑茶を注いで飲んでいた。それって、お椀についたお米まで残さず食べられるようにやっていたのかもしれない。「ごはん残したら目つぶれるよ」とも言われた。

 そして父の父は、10代で満蒙開拓義勇軍の訓練所に少しいて、そこから満州に行かされたとか。その祖父は晩年うつ病になってしまった。こちらの祖父もかなりおだやかな性格だった。

 

 2人とも戦争に行ったのに、よく生きて帰ってこれたなと思う。

 

 なんと、それしか知らない。ほんと聞きづらいのよ。孫では。

 

 あと、小学生の頃、祖母の姉の所へ行って、「どうしてだんなさんいないの?」と聞いたら、「戦死しちゃったの」と言われた。「戦死」なんてここで初めて聞いた。今思い出すと子どもの自分は、なんてやばい質問をしていたんだろうと思う。その家の仏壇には兵隊の姿をした人の白黒写真が飾られていた。 その人は、「昨日マクドナルドでポテトを買ったけど、食べきれなかったからあげる」と言ってしなしなのポテトを母にくれたそうだ。母はあとで、「昔の人って食べ物大事にするんだよね。」と言っていた。

 

 昔は、ちまたに戦争経験者いて、それが学校の先生にもいて体験談聞いたりした。高校の修学旅行は広島平和公園で、被爆者の話聞いた。たくさんの死体と一緒に自分も横になってた話。今でもよく覚えてる。これからは体験者の話は聞けなくなるな。